Coffee
明治11年、日本国内で初めてコーヒーの栽培が試みられた地「小笠原」。
当園の向かいには今でもその名を「コーヒー山」という地名が残り、当初はこのあたりを中心に45kgの収穫があったとのことです。
しかしその後は試験栽培の域を出ることもないまま、やがて戦争が始まってしまいました。そんな環境の中でコーヒーの木は絶滅してしまっても仕方のない状況だったことでしょう。ところが、導入当初より当園先代が残してくれたコーヒーの木は、その場に自生し種を落とし発芽させ、その最悪な環境にも負けることなく、ひっそりとたくましく生き続けていたのです。
この発見は、明治初期、命からがら島へ渡ってきたわたし達自身のルーツが、開拓というスピリッツを胸に抱き自然と共にこの地でたくましく生きたことの証しにも感じられ、コーヒーの木を家族のように大切に育てたいと思いました。園主にとっては、先祖から"作れよ"というメッセージが添えられた贈り物に感じられたとのことです。
その種を集め、はじめは半信半疑ながらビニールポットに播種し育苗を始めてみました。毎日毎日その生長を気にするあまりか、なかなか変化を見せてはくれませんでした。2~3か月がたち、もう半分諦めてその存在すら忘れかけていた頃のこと、ふと気付くと土から種をしっかりと持ち上げふんばって発芽していました。
それから双葉を出し本葉をつけて少しずつ生長し3~4年育苗した苗は高さ1m程になり、ようやく畑へ定植することが出来ました。定植してさらに2年目あたりから花を咲かせ実をつけ収穫を迎えることが出来ました。
こうして今でも少しずつ本数を増やし続けています。
〔コーヒーの実が出来るまで〕
小笠原のコーヒーは100%天然の空の下で育ちます。春先になると、ジャスミンに似た芳香を漂わせる白く可憐な花を無数につけます。この花が数日で散ると、ここに胡麻粒よりも小さな実がつき始めています。
まだ緑色の実が7か月程かけて大きくなり小指の先程になると、秋になるにしたがって次々に赤く色づいていきます。
コーヒーチェリーと呼ばれるこの熟した実を10月頃から収穫し始めます。
〔作業あれこれ〕
コーヒーの実は一枝に何粒もびっしりとつきますが、赤いコーヒーチェリーに色づくタイミングは粒によって様々です。赤く熟した実から一粒ずつ丁寧に手で摘み取ります。
このコーヒーチェリー1粒には中に2粒のコーヒー豆が向かい合って入っています。赤い果肉部分を剥き、取り出した中の豆を天日に干して乾燥させ、さらにもう一枚のうす皮を剥くとコーヒーの生豆が出来上がり。
これを焙煎し、我が家の天然水でコーヒーを注ぐと、ようやく100%ホームメイドのコーヒーがいただける…というわけです。